2010年2月分

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5年ぶりの献血
BSE問題から、イギリスに1日でも滞在した人は献血できなくなった2005年以来、旅先や街角で献血ルームや移動採血車を見る度に「もう献血はできないのか?」「いや、医学的知験が積み重ねられて復活が?」と思ってた。
あきらめかけていたとき、友人から「イギリス要件が緩和された」との情報。滞在日数のハードルが1日→31日になったのだ。

ってことで、一昨日、一番町TICビルに昨年暮れにできたばかりの献血ローム「杜の都AOBA」に喜び勇んで行ってきました。

【受付】
受付終了時間(18時)の20分前に到着。待ち時間ゼロで受付開始。5年ぶりに献血手帳を見せる。

「久しぶりの献血ですね。」「イギリス滞在歴がネックになって、5年間献血できなかったんです。要件が緩和されたと聞いて、早速やってきましが。」「まあ、早速・・・。ありがとうございます。」なんていう会話。
今では、献血手帳ははなくなって、献血カードになったそうな。総献血回数、直前3回の献血歴、次回献血可能日などが毎回印字し直されるとか。何か味気ないな。
問診票に記入する代わりに、タッチパネルで「はい・いいえ」を回答。海外渡航経験はある地域を申告。
ひととおり応えて、住所等(5年前の世田谷のままだった)を変更。で、この後が大変。
問診結果や、住所変更などが印字されて出てくるのだが、海外渡航歴の問診が始まる。登録されているのは、最後に献血したときに申請したベトナムのみ。
まずはヨーロッパから・・・と、20カ国以上の滞在期間、滞在時期を記憶をたどりながら申請。受付のおねーさんは、それを全てメモしてくれた。

いやぁ、受付終了時間に大変なヤツが飛び込んできたと思ったろうなぁ。それぞれの国については、過去の献血の際に申請しているので殆ど問題はなし。この5年の外国といえばカナダとカンボジアくらい。カンボジアは3年前なので問題なし。カナダも特にお咎めなしのはず。
これらの受付に10分以上かかったかな。
で、今回は「成分献血」に初チャレンジしようかと。「成分献血の方が、お身体への影響が小さいです。」と受付のおねーさんが言ったので、5年ぶりだし、様子をみるか・・・と。

【問診・検査】
受付を終えて、ようやく医師の問診。
ちゃきちゃきした(東北人らしくない?)年配の女医さん。極めて事務的に質問をしていく。

ここで何故か血圧が高め。あれれ? プロレスを見てきたばかりだったからか? それとも、寒い中自転車を走らせて来たからか? 再度腕を変えて測定。多少下がったが、おいらとしては高め。まあ、採血の許容範囲ではあるのだが。

が、先生、おいらが成分献血が初めてと知ると、最初に心電図をとらなければならない、1時間半くらいかかる、腕に幅広いバンドをつけてその間一切動かせない・・・等デメリットをさんざんお話しされる。昼食から時間が経ってることもあり「間食はしましたか?」とも聞かれた。これは初めて。

そんなに大変なのか>成分献血

ようやくセンセイのOKが出て、看護婦さんのところで検査採血。「立派な血管ですねぇ。」久しぶりに言われたな、このセリフ。左から検査の分を採血。

看護婦さん、「私も海外旅行が好きだから。」と、おいらの渡航歴をみて、しばしうらやましそうに、ああ、とかへぇとか。特に質問はされませんでしたが、ここでも時間がかかることが強調される。

ついにおいらも「時間がかかるようですし、終わる間際で申し訳ないので、全血にします。」

とたんに隣の部屋の先生も看護婦さんも顔色が明るくなった(笑)やはり、終了時間間際はいけないのかな(汗)
5年前の記憶では腕に新生児のようなバンドを付けられたのだが、ここはそれはなし。

【いざ採血】
昼食時間から6時間以上経っていることが気になったらしい先生から、「待合室で何か口に入れて」との指示。待合室にはちっちゃなメロンパン、クロワッサン、などが置かれていた。本来採血後に「お一人様3個までを目安に」食べるものらしい。飲み物はティーバッグ(笑) テレビを見ながらメロンパンを食べて、まつこと5分ほど。
呼ばれて、採血ベッド(というか、椅子)へ。本人確認のために名前と生年月日(西暦で答えたら、和暦を聞き返された)。
小さな画面でテレビが見られる。ちびまる子ちゃんのスペシャルらしい。たまチャンとの出会いをやってる。

この5年、注射と言えばインフルエンザの予防接種と胃カメラ呑むときの『胃の動きを止める』注射くらい。どちらも針が細いから、献血用の太い針とは比べものにならない。久しぶりの「チクっ」と来る感覚。「しびれはないですか? 痛みが残るようでしたら言って下さい。」

機械で負圧を掛けて吸い出す方式なのだろうか、かつては、血が固まらないようにか、血液のパックがギッタンバッコンしていた
2010年02月03日 00時51分07秒<



 
本日の手作り弁当(2/4)
白菜とさつま揚げの煮物、青唐辛子の卵焼き、炊き込みご飯、しゅうまい、紅ショウガ。
白菜はざく切り、さつま揚げは細切り、これに昆布と鷹の爪、醤油、塩、酒でごく普通の味付け。
青唐辛子は粗みじんにして醤油につけ込んでおいたもの。辛い。
本日の大失敗は炊き込みご飯。筍の水煮と鶏肉が多めになったので米は3カップ。本当は米だけで通常の水加減(含む味付け)をして、具を合わせなければならないのだけど、具を入れてから3カップのメモリまで水を入れた。何か、少ないな・・・と若干足したのだけど×。
朝、炊きあがっている筈のお米は芯が残ってとても食えた代物じゃない。かと言って、捨てるのももったいない。ってことで、お湯を足して、圧力鍋を使って「追い炊き」。どれくらいやればいいのか判らないのでまずは3分、その後は蒸気の出方を見ながら2分ほど。芯はなくなったけど、モチっとして(というか糊っぽくなって)お焦げもできた。まあ、食えなくはない・・・という代物。後でネットで調べたら、日本酒を振りかけて、再度炊飯器のスイッチを入れれば良かったみたいです。ただ、朝の短い時間でできたかどうか・・・。
2010年02月04日 19時06分33秒<



 
【五輪】失敗だったのね・・・
バンクーバーオリンピック、始まりましたな。
しょっぱなから上村のドラマがありましたけど、タイトルはモーグルではなくて開会式。
ゲレンデの宿で仲間と見物していたのですが、聖火ランナーが4人いたのに聖火台は3本、しかも微妙な斜めの角度。なんか変だなぁと思ったのですが、今日の新聞で納得。トラブルだったのね。
それにしても、実況のアナウンサーも何も行ってなかったな。
# 知ってても、水を差すようなコメントはできないのかなぁ
2010年02月15日 22時13分49秒<



 
【読】 ゴッホは欺く (ジェフリー・アーチャー)
世界的な名画収集のために、資産家に高利の融資をしては借金のかたに絵を取り上げている銀行家。そのためには汚い手段もいとわない。
そんな彼の下で働いていた学芸員の女性が、ゴッホの自画像をめぐる取引でクビになったことから、彼の裏の顔を暴くべく、立ち向かう。
舞台は2001年の9.11同時多発テロの日のNYから始まり、イギリス、ルーマニア、そして東京も出てくるのである。2週間ほどの間に起こった出来事をジェットコースターのようにつづっている。
寝ていくはずの高速バスで読み始めてしまったら、5時間読み続けることになってしまった。途中、若干法律的なことがわからずに中だるみしたが、それを差し引いても、文句なく面白い。
2010年02月26日 02時20分25秒<



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