2002年8月分

前の月へ次の月へ

泥酔検事
山形の副検事さんが、酔っぱらってタクシー乗ってら財布を持って無くて交番に突き出されたそうな。交番のお巡りさんが彼の顔を知ってたので「明日払いなさい」ということで落着した。
ここまでなら、よくある話で、「○○交番24時間密着」なんていう番組で顔にモザイクがかけてドキュメンタリーに仕立てられることはあっても、ニュースにはならないと思うが、検事さん(公務員)だから新聞沙汰になっちゃうのかしら。
ところで、今回、この話を持ち出したのは、この副検事さんが泥酔した理由が変わってたから。
道交法が改正になり飲酒運転の基準が厳しくなったので、起訴する側の検事さんも、実際に酒を呑んで呼気中のアルコール濃度を測る実験というか実習というか、をやったんだそうな。職場でね。そしたら、ほんとに酔っぱらっちゃったらしい。何とも、可愛らしい話・・・と思うおいらは、酒飲みに寛大すぎるかな?
それにしても、この副検事さん、今回の経験によって、酒酔いに対して、寛大になるか厳格になるか・・・。少なくとも、ご自身はしばらくは呑まないだろうな。
2002年08月01日 00時29分16秒


38度
決して、朝鮮半島の状況を論じようってんじゃありません。今日の名古屋、近くのビルの電光掲示では、日中38度。昼休み、隣のビルの食堂に行った時点でも37度。さぞかし・・・思うのだが、多少の風は吹いていたし、木陰はそこそこ涼しい。37度の戸外で涼しいってのも変かしら。少なくとも冷房による自律神経失調・・・なんてこととは無縁のようである>自分
さて、そんな自分の職場で「省エネのため、冷房温度を上げる代わりに、8月の1ヶ月間は軽装(=ノーネクタイ)で執務しても構わない」っていうお触れが回ってきた。その旨、記したポスターをわざわざ事務室内に貼って、外来者の理解を得るんだそうな。
おいらは、去年は6月に冷房の試運転が始まってから9月一杯くらいは自主的にノータイで仕事してたし、今年もそのすもりで6月からノータイだったんだけど、今回のお触れで、却って、やりづらくなってしまった・・・。
# やるけどね(笑)
2002年08月01日 00時31分50秒


ころ・・・
ピラミッドを造るのに使った丸太のことじゃないっす。うどんの話です。
冷たいうどんのことを東京では「冷やしうどん」っていいますよね。名古屋ではそれを「ころ(うどん)」というのです。例えば、油揚げが載っかった冷たいうどんは「きつねころ」となるのです(東京では「冷やしきつね(うどん)」ですよね。) 月曜日に入った店でも「きつねうどんの冷たいの下さい。」と頼むと店のお嬢さんは厨房に向かって「きつねころ、いっちょう」と注文を通すんですよ。「つゆだく」とか「並み玉(ぎょく)」みたいな通の隠語かと思うとそうじゃなく、普通の客も使うし、そもそもメニューにそう書いている店もあるらしい。
別にどうでもいいのだが、よそ者にとっては「何故『ころ』なのか・・・」ってのがとても気になる。いろいろさがしていたら、答がこちらのサイトにありました。
# ドラゴンズの謂われもそうだったけど、私の周りの名古屋の人って、言葉のルーツとかに興味がないみたいだ。
2002年08月01日 00時35分18秒


ペルー、ペルー・・・
出発まであと1週間。にわか勉強中です。自然、歴史、美味しいもの、気をつけるところ・・・。
もしご存知のことがあったら、掲示板、メールで教えて下さいね。よろしくです。
2002年08月02日 00時38分56秒


日本の夏、・・・
フジカラーのCMですけど、みんな知ってるのかしら>元ネタ
「日本の夏、金鳥の夏」ってのがあったんですよ。何と、美空ひばりさんがやってたんですよね、このCM。こんなのに反応しちゃうってのが悔しすぎますね>ぢぶん
# 誰か助けて・・・
2002年08月02日 00時43分34秒


紙幣一新
二千円札以外のお札のデザインを再来年に変えるんだそうな。偽造防止ってのが理由らしい。福沢諭吉はそのままで、五千円札が樋口一葉、千円札が野口英世なんだって。樋口一葉も野口英世も大賛成。新渡戸稲造って誰?って感じだったし。それでも、別に変えなくてもいいのにねぇ。短命だったよね。それにしてもいきなり。もっと、「国民的」議論をしてもいいような気がするんだけど・・・。よその国ではどうやって決めてるんだろう>お札の図柄
(後日注)今のお札って既に20年近く使っていたんですね。つい最近変わったような気がしていた・・・。
2002年08月02日 00時55分13秒


お祭り、お祭り
昨日、今日と柳原通り商店街の夏祭りであった。柳原通り商店街、そう、「いわむら」がある商店街である。
言っちゃ悪いけど小さな、どこにでもあるような商店街である。大げさなお祭りじゃない。昨日は郡上踊り、今日は阿波踊り。メインはそれだけ。御神輿があるわけでも、山車が出るわけでもない。
でも、何かみんな楽しそうなのだ。福うちわってものが100円でうられる。何の変哲もないうちわなんだけど、そこにカードが張り付けられてて、それをめくると、商店街のお店の名前が書いてあるのだ。それをお店に持っていくと、いろいろなオマケが貰えるのだ。言ってみれば福袋みたいなものかな。おいらは「郵便局」(笑) タオルとおかきを戴きました。
円頓寺、名古屋城、矢田川の花火・・・これからしばらく名古屋は「お祭りタウン」になる。
2002年08月03日 00時10分23秒


地球の裏側へ−ペルーの旅(準備編)1
数年越しで、ようやく実現への運びとなったペルーへの旅。出発まであと5日である。決めたのも突然で、精神的にも物理的にも全然準備が出来ていない。何よりも「南半球=冬」ってのが全然ピンと来ないんですよねぇ。しかも地球上の気候の8割が存在するらしいし>ペルー
これまでにやったことは資料収集。まずは、ガイドブックの購入。普通は逆なのかな、ガイドブックで行きたいところを決めて、それを満たすツアーを申し込むんですよね。仕方がない。ガイドブックは地図が充実している「個人旅行」シリーズが好きなのだが、ペルー編はないので、仕方なく「歩き方」を買った。久しぶりに手にする「歩き方」は紙質が随分良くなってた。内容の方はどうだろうか。それから、かつてのメキシコ旅行の際に使ったスペイン語会話の本と辞書を押入の段ボール箱の中から引っ張り出した。これに飽きたらず、あいち国際プラザの図書館から4冊借りた。青木盛久さん(大使館襲撃時の大使)の「ペルーからの便り」や立松和平の紀行、マチュピチュの写真集、酒について書いた本。とにかく、短期間でペルー通にならねば。この土日が勝負である。
2002年08月03日 09時03分17秒


ペルーの旅(準備編)2
今回の旅は成田発着である。名古屋−成田間も空席があれば無料で飛行機に乗れるのであるが、2週間前ではどうしようもない。時間も金ももったいないが、新幹線で行くしかない。どうせ目的地へは20時間以上かけていくのだから、ここで1時間、2時間稼いでも仕方がない。ぷらっとこだまと快速エアポート成田を使って少しでも費用を節約する。所要時間は5時間。(飛行機だったら2時間ちょっとかな。)
今回のぷらっとの予約はインターネット経由で行った。便利である。あまり宣伝はしたくないが。そういえば、今回、ペルーツアーを探したのもインターネットだった。申し込みは電話一本とFAX1枚。便利だ。私のツアーは世界遺産マチュピチュ遺跡を訪ねるペルー紀行 10日間という大層な名前がついている。ようやく、訪問先が何たるかを書籍&インターネットで勉強したのだ。何でもかんでもインターネット。これもADSLにしての変化かもしれない。
2002年08月03日 09時27分26秒


ペルーの旅(準備編)3
さて、具体的な旅行の準備である。先日までスキー部屋だった部屋が作業部屋。まずはスーツケースをひろげる。去年のイタリア旅行のままになっていたので余分のタグをはずす。旅の想い出に、といろんなのをぶら下げている人もたまに見かけるが、無用のトラブルを防ぐ意味からもはずしておくべき。そして、中仕切りのポケットをチェック。おっと、入れっぱなしになっていた「まさかのときの」日本円5万円と米ドルが18ドル出てきた。銀行の利息が0.00・・%の時代だからスーツケース預金ってのがあってもいいよな。ちょっと得した気分。今回、空港税の支払いは米ドルらしいので50ドルはキャッシュが必要。まあ全部で100ドルもあれば十分か。その他の現地の費用(枕銭、食事のときの酒)はciticardで現地通貨ソルを引き出し、使えるところではクレジットカード。いつもと同じ。
さてさて、一体何を持っていけばいいのだろうか。ピンとこない。取りあえず薬関係(胃腸薬、風邪薬、紫外線、時差ボケ・・・)はスキーシーズン中も常に更新しているのでそのままでOKだろう。カメラ・記録関係では、フィルム、ビデオテープ、バッテリーだた、これは補充が必要だ。今回はパソコンはどうしようか・・・。通信事情はあまりよくないんだろうなぁ>ペルー いつものNIFTY経由は駄目みたい。so−netならOKらしいんだけど、設定し直すのが面倒だしなぁ・・・。
2002年08月03日 13時34分50秒


豊田スタジアム
鯱vs鹿を見た。もちろん鯱の応援。大騒ぎである。勝利の美酒に酔った。豊田スタジアムは、おいらの家から1時間15分、決して近くはない。瑞穂なら自転車で30分。でも、やっぱり豊田なのだ。キレイだし。試合は2−1で勝利。飽きもせず、忙しくもなく、ちょうどいいくらい。万歳、万歳である。
しかし、腹立たしいのはビール。スタジアム4階のレストラン、小ジョッキ程度が600円。観光地値段である。まあ、この値段は許す。しかし、レストランに入って最初の一杯にありつくのに30分。店員の段取り悪すぎ。テーブルはガラガラなのに、客を20人以上入り口で待たせてる。確かに、全てのテーブルに客が座って、一斉に注文したらパニックになるだろう。とにかくフロア、厨房が鈍くさい。指定席が殆ど売れている試合なのだから、バイトを増やすとかできなかったのか? 豊田市では、優秀な市民は全て自動車工場に就職して、レストランで求人してもまともな人は来ないってことか? それともグランパスの試合の日は若者はみんな試合観戦でバイトを募集しても無駄と言うことか> 客を舐めているとしか思えない。
さらに滑稽だったのは試合が始まってからの「ビール」である。紙コップにビールを注いで貰いたいだけの客が列をなしているのだが、それを食事をした客と一緒にレジに並ばせ、呑気に「アサヒとサッポロとキリンがありますが・・・」なんていいながら、注文ごとにレジを打ってから、瓶ビールを紙コップに注いでいるのである。
ビールだけの客は別のカウンターでキャッシュオンでどんどん捌いて(そもそも生じゃなくて瓶にするってところが、これまた客を舐めているのだが)、店として必要なら、後で王冠の数でレジスターを調整するぞ。柳原通り商店街のお祭りでいわむらの客が生ビールの露店をやってたけど、あっちの方がよっぽど段取りがよかったぞ。素敵なスタジアムで、良い試合だったのだが、レストラン、商売っ気なさすぎ。
# まさか、第三セクターじゃあるまいな(笑)。役に立たない社員を2人馘首にして、試合日だけおいらを使った方がずっと客のストレスは減るぜ。
2002年08月04日 00時57分43秒


PEPSIのCM
イチローがでてくるペプシのCM。シアトルではなさそうな、南の方(カリフォルニアのイメージだよな。WHY?)の砂浜で、お姉さんはじめ、みんながイチローの形態模写をしている。ところが、何故か右打ち。おいおい・・・。これは振付の人がイチローを知らないだけなんだろうか?あれだけ、アメリカ人(らしき人)がいて、誰ひとり、「あれ、おかしいですよ、イチローって左打ちですよ。」って言わなかったんですよね。更に言えば、ペプシの担当者(多分日本人)も何とも思わなかったんですね。
要は、ペプシのCMに携わった誰もが、一度たりともイチローのバッティングを見たことが無かった・・・ってことなんでしょうか? いずれにしても、ペプシコーラなんて、イスラム圏にでも行かない限り呑まないもんな。
2002年08月04日 01時17分19秒


カミナリ
「カミナリ」とカタカナで書くと、ちょっと古い人は「カミナリ族」を思い出すんじゃないかしら。この言葉が生まれたのは1959年らしいから、判る人は40代の半ば以降かな。
さて、そんなカミナリ族はおいておいて、今朝の雷である。明け方6時頃だろうか、もの凄い音がゴロゴロ。あわてて、電話線とパソコンのコードを引っこ抜きました。ここのところ日中気温が上がって、夕方に「俄一天かき曇り」という雷雨はよくあるけど、明け方の雷とは。しかも、今朝の雷は雷だけなのだ。そう、雨ナシなのだ。気分的には「空砲」かな? それでも、かなり近くに落ちたようでバリバリバリッと凄い音がしたが、幸い、パソコンは無事だったのだ。それにしても、これって、いちいち引っこ抜くしか対応できないのかしら。
# 今日のNHKのど自慢は岐阜県可児市の文化創造センターから。例の狂言師がダブルブッキングして有名になったところだ。
2002年08月04日 12時25分47秒


カミナリ2
午後、インターネットで予約したぷらっとこだまのチケットを引き取りに名駅に行きました。引き取りは専用の窓口なので待ち時間が少なくてすむはずなのだが、たまたま前の客がかなり複雑な予約の引き取りだったので、10分くらい待つこととなった。
さて、せっかく名駅まで行ったので高島屋の地下、いわゆるデパ地下。いや、凄いですねぇ。美味しそうな総菜や弁当がたくさんあるんですけど、安いんですよね。500円くらいからあるんだよなぁ>弁当 時間があれば、キオスクで駅弁買うよりもコストパフォーマンスはよさそう。
ところで、そんなことで時間を食ってしまったら、帰る途中で雷雨に遭遇。それこそ、犬と猫が空から降ってくる感じ。雨だけならシャワーがわりに濡れて走る・・・ってのもあるんだけど、雷は怖いもんなぁ。多少、体脂肪は増えたとはいえ良導体の身体、しかも水に濡れて、金属に乗っかって走ってれば、格好の目標だもんな。おとなしく雨宿りしましたとさ。
# 「避雷針」って、名前とやってることが逆みたいに感じるのだけど・・・。
2002年08月04日 20時55分25秒


ペルーの旅(準備編)4
準備が進まない。とにかく気候がピンとこない。パソコンは持っていくが通信はしないことにする。東急ハンズの旅行コーナーもうろついてみた。いろいろ欲しくなっちゃうけど、あれば便利、なくてもOKってものばっかりだもんな。
今日は情報収集。夜は水風呂に浸かりながら、本を読む。1冊は「チリ ペルー ボリビア 酒紀行!」っつう本。女性2人がこれらの国をひたすら地酒を求めて旅をするというもの。行動力には驚かされる。そして美味しそうである。現地ではおいらも是非呑みたいが高山病も怖い。旅の最初と最後に滞在するリマがポイントかな。もう一冊は「ペルーからの便り」。ペルーの5,6年前の政治的背景を知るにはいいが、彼は敢えて主観的に記述しているので注意。
2002年08月05日 00時29分24秒


生醤油
手打ちうどんの「さぬき」。またまた食いにいきました。土曜日の午後に行ったら臨時で「準備中」になっていたのでリベンジということになる。奇しくも前回と同じ月曜日、時間もほぼ同じくらいだった。
予想通り、店はガラガラ。先客は2人だけ。だるそうに熱いうどんをすすってる若いねぇちゃん。他の客の目もないので、前回恥ずかしくて注文できなかった「生醤油」と「ちらし寿司」を頼む。ちらし寿司はすぐ出てくる。腹が減っていたので、つまみながらしばし待つ。
出てきました。うどんの上に、花カツオと刻み海苔が載っかっている。おてしょうにおろし生姜とあさつき。瓶で渡される生醤油は小豆島のもの。マルキンと書いてあったような気がする。さすが、讃岐うどんは小豆島の醤油ですか。「かけすぎると辛いので注意してくださいね。」とお姉さんが宣う。先週の月曜日はそんな注意はしていなかったので、苦情が出たか、或いは、消費量が多すぎるので店が配慮したのか、はたまた、あの日の客はみな常連で、新顔のおいらにだけ警告したか・・・。
いずれにせよ、忠告に従う。おてしょうの上で生姜とあさつきと生醤油を混ぜて、ちょこっとずつかけて食うことにする。ネギトロ丼の食い方に似てるかも知れない。
まずは生醤油とうどんだけ。前回、きつねころ(笑)を食ったときには気づかなかったのだが、うどんはこしがある・・・というよりも、もちっとしてたのである。記憶とはエライ違い。或いは、通常の冷やしうどんと生醤油では換えているのだろうか? 醤油のいわゆる「醤油臭さ」は生姜に消されていて気にならない。それよりも生姜の酸味(いままで、生姜の酸味って意識したことはなかった)が外の暑さを忘れさせる感じ。
その後は、花カツオ、海苔、テーブルにサービスで置いてある揚げ玉(天かす)と混ぜていって、一杯で何通りもの味を愉しむ。生醤油うどんはOK、しかしあれだけいた「生醤油客」はどこへ???
# この味、癖になると思うけどなぁ。
2002年08月05日 20時30分53秒


ペルーの旅(準備編)5
ぴなの職場。普通の休暇願いは庶務に渡しておくと後の手続きはやってもらえるのだが、海外旅行の届けは自分でボスのサインを貰わなければならない。これは有給休暇使用の有無とは関係なし。古き良き時代の名残なんだろうな。今日、ボスに申し出て無事OKを戴いたのだが、ボスは「気をつけて行ってきて下さいね。ところで、ペルーって、エルニーニョだか何だかで海流がずれて、もの凄く寒くて、凍死者がでてるんじゃないですか?」とのこと。ををっ、よくご存じで・・・。おいらも先週はそんなこと知らなかったのに。「プーノというチチカカ湖の近くでは7月の下旬はマイナス15度、20度という日もあったようですが、意まではマイナス2度くらいに落ち着いているようです。」
そう、そうなのである。今回、たった10日の旅なのであるが、最低は氷点下、最高は40度近くになることもあるのだそうだ。つまり、服装については、とやかく考えても仕方がないということである。冬のコート、フリース、長袖のシャツ、ポロシャツ、Tシャツ、長ズボン、ジャージ、半ズボン。全てが必要と言うこと。普段スカスカのスーツケース一杯に衣類をもっていくことになりそうです。
2002年08月05日 21時14分17秒


50歳
50歳の女性っていうとどんな感じなんでしょうか。もう、人生の折り返し点をとうに過ぎて、人によっては「おばあちゃん」と呼ばれててもおかしくない。生活に疲れているか、それとも、まだまだ元気なのか・・・。
松坂慶子様である。週刊誌で久しぶりにお姿を拝見したのである。結婚、出産を経て、一時、ふくよかになられていたが、今回の写真を見る限り全くおかわりのないきれいな肌なのである。しかも、そこに桜の刺青を施している。どきどきである。
おいらがまだ学生の頃「配達されない3通の手紙」という映画のポスターで裸の背中を見せていたのであるが、電車の中吊りになったその細い背中の脇からほんのりと見えるふくらみ・・・。はい、ドキドキしました。思い出しましたよ。

# 吉永さまも57歳・・・
2002年08月06日 20時54分25秒


住基ネット
省略しちゃうと何やらおどろおどろしいものに思えてきます。某女性ジャーナリストを初め、反対する人も多い中で運用が始まりました。
詳細に議論を聞いているわけでもなければ、真面目に考えているわけでもないので、いい加減なんですけど、私はどちらかというと賛成です。

今のままではあまり便利にはなりそうもないけど、今後、背番号と様々な情報が合体すれば、必要な情報を全て取り出すことができるようになる。これは便利。番号が判れば4項目はもちろん、緊急時の連絡先、血液型、病歴・禁忌症、銀行口座番号、・・・ありとあらゆる、生活をしていく上で必要な情報が取り出せたらいいと思うんですよ。
例えば、11桁の数字と、指紋又は虹彩とリンクさせる。するとキャッシュカードが無くても預金を引き下ろせたり、意識が無くても救急隊員が適切な処置ができる。そうなれば、諸手をあげて賛成ですね。まあ、そういうサービスを受けたい人だけが登録してもいいのかもしれないけど。

さて、反対の理由はいろいろあるようです。「国家による国民の管理(監視?)である。」という人もいます。国家の庇護を受けておきながら、ヒドイ言いぐさです。親に養って貰ってるのに通知票を持って帰らずやぶっちゃう先々週の中学生日記の生徒よりもずっと悪い人だと思います。国家には何もしてほしくない!っていう人がいれば住基ネットに反対してもいいです。そうでない人は反対しちゃダメだと思います。
ネット犯罪が増加する中、専用回線とは言え、外部に漏れないとは限らない。」という人がいます。確かに、犯罪者にとっては大した苦労もなく大量に情報を盗めるようになるかも知れません。これは確かに怖いです。でも、今の世の中、もっと大事な個人情報がネットに載っかってないでしょうか? 一時、いろいろな企業から顧客データがボロボロと外に出ましたよね。オンラインショッピングでもそうだし。
住基ネットみたいに悉皆だと、カバー率はひと桁、ふた桁も上がるのでしょうけど、所詮、名前、性別、住所、生年月日ですぜ。その程度の情報を大量に集めた人が何をやるのかしら。成人式を迎える女性に晴れ着のDMを郵送する・・・。今と何が違うんだろう? ちょっとした粗品のために、個人情報をだだ漏れにしてアンケートに答えてる人ほど「住基ネット反対」なんて叫んでるんじゃないでしょうねぇ(笑)
個人情報保護法制をちゃんと作ってから・・・という約束が反故になっている。」っていうのを理由に挙げている人がいます。これはもっともですね。これについてはおいらも反論はできません(法制があっても、なくても確信犯(犯罪者)には関係ないとは思いますが。)。政治家が嘘をついたら政治的な責任をとらねばなりません。その意味では、小泉内閣は信を問うて、解散、総選挙へ・・・っていうのが筋かもしれません。内閣は法案を提出している・・・ってのは、うーん、苦しい言い訳ですね。もちろん、小渕さんが約束したときと「社会状勢に変化があった」っていうことでもあれば、約束は反故にしてもいい場合もあるでしょうけど、どうなのかな。
2002年08月06日 21時08分20秒


ペルーの旅(準備編)6
パッキング開始です。3年前の同時期にペルーに行かれたじゅにあサンからいろいろ教えていただきました。じゅにあサンとは何度も一緒にスキーをしてますから、彼が「極端な寒がりではない」ってことは知っているのですが、その彼がスキー場でも見せないような装備で、それでも寒くて震えてたとのことなので、覚悟を決めました。仕舞ったばかりのスキーウェア(っても小物類ですが)を出してきました。フリース、ソックス、ウィンドブレーカー、タイツ、そしてカイロ・・・(笑)。スーツケースの半分は冬支度。残りは、ウォークインクロゼットに転がってるTシャツ、ポロシャツを若干入れておけば後は何とかなるでしょう。記念品代わりに向こうで買ってもいいし。
# パソコンを持っていかないと楽>準備
2002年08月06日 23時35分52秒


きょうの「さくら」
うーん、そういう展開かぁ。となるとあと1ヶ月半で桂木なんだろうか?>さくら
でも、「ひらり」では最後は竜太先生と結婚できなかったしなぁ。いったいこれからどうなるんだろう? 来週一週間見られないのは実に痛いぞ。
# にしても高野志穂は涙を操れるんだな、すごい。
2002年08月07日 07時46分13秒


ペルーの旅(準備編)7
ついに明日である。衣類圧縮パックでフリース等を縮めて、その他諸々放り込む。やはりいつもよりは多めである。昨年のイタリアの倍かな(笑) でも、何度も書くけどパソコン関係がないと楽。とにかく詰め込めばいいのでねぇ。
今回の荷物で特徴的なのは本。とにかく、往復丸々2日あるし、特に帰りのロス空港では6時間くらい時間をつぶさなければいけない。そこで行きは予習、帰りは暇つぶしのための読書タイムとなるわけである。また、一冊本を借りた。「インカ帝国 大洋と黄金の民族」という翻訳物である。200ページの本だけど、絵や写真がたくさんあるのでよさげ。これとマチュピチュの写真集、歩き方を機内に持ち込むつもり。帰りは、読みかけの文庫本2冊。これは、読んでも読まなくても。
今回、いろいろと準備をしていて、思いの外情報が少ないことに気づいた。今回の旅日記は「日々の服装」「現地通貨は使えるか」「真夜中の治安」といったところがポイントでしょうか。もちろん、インカもね。
2002年08月07日 23時19分30秒


ペルーの旅(準備編)8
今回はパソコンは持っていきませんが、町をぶらぶらしてインターネットカフェでもあったら、接続を試みたいと思ってます。その場合も、いくら移民の国とは言え日本語環境が整っているとは思えないので、片言の英語又はローマ字ということになります。ひょっとすると10日ばかり音信不通になるかもしれませんが、その節はご容赦を・・・。
2002年08月07日 23時24分35秒


出発!!
名古屋は今朝も真夏。セミがワシワシと鳴いています。さあ、ちょっと早いですけどこれから真冬のペルーへGO!
2002年08月08日 08時17分34秒


ペルーへの旅(1)
今、成田空港です。家を出てからすでに7時間半。ようやく、出国審査を済ませ搭乗ゲートにやってきました。やはり、名古屋からの参加ってのはハンデがありますね。何かあったら・・・と思うので乗り継ぎ、乗り継ぎで余裕を見ちゃう。(もちろん、名古屋−成田のフライトを使えばいいのですがすでに満席) 日本の各県の方々が空港を欲しがるのが判る気がします。年に1回の海外旅行でも面倒なものは面倒だもんな。
で、今私はYahooCafeなるインターネットカフェから打ってます。ここ、なかなか優れものです。ざっと見て40台くらいのノートパソコンがずらり。なんと言っても無料。(ただし、パスポートの写しを取られる)ちょっとした暇つぶしには最適ですね。
さて、ペルーへの旅。ツアー一行は18名。こじんまりしたツアー。添乗員さんは多分おいらと同世代のSさん(女性)。一行、ざっと見た感じ、おいらは年齢的には中間かな。若干女性が多いようである。まあ、ペルーまで行こうってんだから、よっぽど旅なれた方か、訳あり(移民の関係者とか??)かなんでしょうね。
おっと、搭乗時刻が近づいてきました。
2002年08月08日 16時33分06秒


これがADSLか・・・
今、成田のやっほー茶店から打ってるんですが、通信スピードが速い、実に速い! そもそも8MのADSLの宣伝で開いている茶店(飲み物は出るらしいが誰も飲んでいない)のようなのですが、とにかく速いんですよ。あっという間。試しに、ブロードバンドスピードテストをやったらなんと19.9Mも出てる。これで8Mのチラシをおいているんだから、うーん、ちょっとあこぎ(笑)
いやあ、初めてのスピード体験。CATV接続の人や光ファイバーの人がうらやましいぞ!
# 上を向いたらきりがない・・・
2002年08月08日 16時47分39秒


From Peru
The first day in Peru. We are 18 members. All members make trips abroad frequently. One third is male and the others are female. Half are older than I I guess. The lady next to me in JAL is from Nagoya accidentally.
Tomorrow(Oh! Today) we will visit some musesum in LIma, including AMANO museum. wakuwaku.
2002年08月09日 16時24分23秒


From Peru 2
Jissitsuteki ni LIma no shonichi desu.
10:30am ni hotel wo start, gozentyu ha tyottosita
hiroba wo mite Golden museum. Lunch ha 'Cebiche', famous Peru dish.
Gogo ha AMANO museum. 3000nen mae no
tokkuri wo sawarasete kuretanodaga, tottemokaruinoniha odoroki.
19:00 kara yuushoku, sono ato CASINO??
2002年08月10日 08時03分08秒


From Cusco
Cusuco no Internet shop (1 SOL(35YEN)/20 MIN) kara utte imasu. Pc ni nihongo ga install sarete inainode baketemasu. Umak okureruka shinpai.(keijiban ha dame deshita.) Sate today ha Cusco ni kimasita. Cusco wo hiraitanoga 'King Manko'. A little embarass... Jpking aside today half day siteseeing in group & after 3:30pm free. Pina ha as usual hitori de aruki mawatteimasu.(Kono mise mo totyuu de mituketa) Hyoukou3400m, I'm anxious about KOUZAN-BYOU but imano tokoro nan no mondaimo naku I drank beer at lunch. (Mochiron hashittari suruto ikigire shimasuga.) Kono machi ha totemo iitokoro desu. Nani yorimo hitoga iidesu. Lima ni kurabereba monouri mo ooidesuga yosono kuni ni kurabereba shinnshiteki desu. Asu ha Machupichu. Konkai no tabi no main. Tanoshimi desu. Deha.
2002年08月12日 07時17分21秒


43210&44444
Aoru wake deha arimasenga mousugu desune. Peru de yakuni tatanai mono wo mitukuroimasunode 43210&44444 wo hit shita hito ha keijiban de sakende cho.
2002年08月12日 07時23分50秒


In LIMA
Lima ni kaette kimashita.
Machupichu ya Titikaka-ko wo mitekimasita.
tihoutosi ,sangakuchitai wo mawatte, konokunino yosa wo kanjimashita.
"KONETA"wo takusan shiiretanodesuga, memo-cho wo otoshitesimaimasita. Kikoku shitara omoidasinagara kakimasune.
# asu wa nasuka
2002年08月15日 12時25分24秒


長い旅もそろそろ
思い立ったが吉日と、周りの皆様のご理解で実現したペルー旅行、10日間の日程も後はロス−成田のフライトのみ(正確にはその後の成田−名古屋の陸路も含む)となりました。
いろんな経験をしました。いろんなネタを拾いました。撮った写真はここまでに400枚近くになっています。生で見るマチュピチュ、そしてナスカの地上絵。
この感激をどうやって伝えようかと考える余裕もなくしばし余韻にひたりたいと思ってます。
2002年08月17日 01時16分04秒


取り急ぎ、ペルーの写真
往復も含めて10日間のペルー旅行、気づいたら銀塩で400枚、デジカメで200枚強の写真を撮ってました。このうち取り急ぎデジカメ写真のうちから25枚ほど抜き出して名所編食事編をアップしました。キーワードは半角小文字で「ppp」です。(Pina's Photo in Peruの頭文字です。)
2002年08月19日 03時53分27秒


ペルーの2つの魅力
銀塩カメラのプリントは明日の夕方に出来上がることになりました。あちらの方がたくさん名場面が撮れているので、ものによってはスキャンしてアップしますが、遠い先の話になりそうです。ってことで、それまでにデジカメ写真から、ペルー旅行の魅力第2弾マチュピチュペルーの人々を抜き出しておきました。ご覧あれ。例によってパスワードはpppです。
2002年08月19日 23時02分07秒


マル秘の話1−はじめに
ペルー旅行、全体を窓枠にアップするのはちょっと時間がかかりそうなので、こちらに小ネタを書きます。まずはタイトルです。ペルーってのは「秘」と略されるのです。アメリカが米、イギリスが英で、ペルーが秘。秘露と書いてペルーと読ませるのです。だからマル秘の話。しばし、お付き合いの程を。
# にしても、あちらからアップしたローマ字・英文チャンポンの文章、改めて読んでみると何となく判るから不思議だ。
2002年08月20日 00時27分47秒


マル秘の話2−メルカトルの世界
ペルーは遠かった。片道だけでヨーロッパ往復できそうなくらい飛行機に乗リ続けた。この距離について、当初、大きな勘違いをしていた。今回はロサンゼルス経由で、成田−ロス、ロス−リマって飛んだんだけど、どんな感じを持ちますか? ロスまで行ったら、もうあとちょっと・・・っていう風に思ってませんか?
今回の往路の飛行時間、前者が9時間半、後者が8時間半。思いの外、変わらないのである。ロスでようやく半分といったところだろうか。
最短距離を都市間の距離を測ってくれるサイトで調べてみると、前者が8815キロ、後者が6739キロ。飛行時間とは若干ずれるようだから、偏西風の関係か、はたまた飛行機の性能か、それとも山岳地帯のルート取りの問題か。それにしても、赤道をまたいだ南北の移動を小さいと思っちゃうのはメルカトルのせいだろうな。
週に1便、成田からリマへの直行便があるそうだ。それなら便利だろうな、と思ったんだけど、20時間近く狭い機内に閉じこめられるのは拷問
かもしれない。
2002年08月20日 01時12分13秒


マル秘の話3−懐かしい顔・・・
アンデスの人のルーツは、ベーリング海峡を越えてやって来たモンゴロイドだとか。獲物を追って氷結した海を渡ってきたところ、戻れなくなった人たちが南下したそうな。目的地をもってひたすら歩いてきても相当な苦難の道だったろうに、新しい居住の場を求めてさまよった果てにたどり着いただなんて、これだけでもロマンを感じるよねぇ。
だからという訳ではないけど、今のペルーの人たちの顔つきは我々と似た感じがする。インカ時代の人たち(=スペインとの混血が進む前)だったらなおのことだろう。さて、おいらの顔は自己紹介のページでご存じだと思うが、今回の旅ではこの顔が結構モテたのである。これはマジである。子供からオトナまで、男性にも女性にもである。一緒に写真に写ってくれと声をかけられることしばしばであった。もちろんペルーの人々が写真好き、或いは、人なつっこいってこともあるんだろうけど、同じツアーの人たちの中でも特にモテたような気がするのは思い過ごしだろうか。
2002年08月20日 01時20分49秒


マル秘の話4−トカゲとスカラベ
インカってのはアミニズムだっていう言い方をしていいんですよね? いろいろな説明を聞いていてそう感じました。太陽信仰があったことは確かのようである。インカ(皇帝)が自らの存在を太陽と結びつけたようだし、1000万人民を飢えさせないためには太陽の恵みってのは大切だったろう。「パチャ・ママ(母なる大地)」という言葉もあるから、大地信仰もあったようだ。酒を呑むときに最初の一口は地面にこぼして捧げるっていう風習が残っている。上にも下にも感謝。自然とともに生きてるんですねぇ。
コンドルは低いところから高いところまで飛んでいく、天の使いのような扱いを受けているですよね。亡くなった方の霊を天に届ける役目なんだそうな。逆コウノトリとでもいうべきか。一方のとかげは、地べたをはいずり回っているから、大地の使いという扱い。この辺はエジプトにおけるスカラベと同じだね。考え方に妙に符合するところがあるから面白い。インカ&エジプト
2002年08月20日 01時52分21秒


マル秘の話5−飛行機のナイフ
飛行機に乗るのは昨年のイタリア旅行以来であった。その間に9.11があったわけである。いろいろと厳しくなっている。特に、機内持ち込み荷物。爪切りやひげ剃りまでテェックされるそうである。面倒くさいが、我々自身を守ってくれるわけだし、そもそも24時間くらいの飛行機の旅に爪切り・ひげ剃りが必要とも思えないので、そこのところはどうでもよい。ボディチェックで引っかかって靴まで脱がされている人もいたが、これとても今では「過剰」とは言えない気もする。もちろん、これだけやっても100%未然に防ぐことは不可能だろうが、少なくともなにがしかの抑止力にはなるであろう。
そうそう、機内食のナイフ、どの航空会社もこれまでの金属製からプラスチック製になっていました。同じように肉が切れるのであれば凶器になり得るし、フォークの方が怖いような気もするけど、これとても「決してテロを許さないぞ!」という現れなんだろう。ファーストクラスのお金持ちが優雅にゆったりと文化祭でしか使わないようなプラスチックナイフでステーキを切り分けている絵を想像すると滑稽である。
2002年08月21日 22時45分52秒


マル秘の話6−地球の裏側の著作権
ナスカの地上絵遊覧は一日がかりである。リマのホテルからリマ空港への送迎、リマとナスカ最寄りのイカ空港間のフライト、ナスカ遊覧飛行、昼食、そしてイカでの時間つぶし、帰りのフライト。これらはすべて全てをアエロコンドル社という飛行機会社がパッケージで取り仕切っているようである。
# イカの時間つぶしでは、ミイラ満載の博物館見学、砂漠のオアシス見物とそこそこの見どころがあって嬉しい。
びっくりなのはビデオ鑑賞。日本人のグループだったので日本語のビデオを見せられたのだが、それが某TBSの「世界遺産」そのまんま。見せるだけなら可愛いが、たテープを10ドルばかりで売るというのである。それってまずくないか? それとも、取材の時にアエロコンドルはさんざん協力してるはずだから、コピーを地球の裏側で細々と客に「分ける」ことを了解して貰ってるのだろうか?? ビデオを見ながらそんなことを考えてたら、エンドロールで友人の名前が出てきた。そういや、「世界遺産」のスタッフだって言っていたな・・・。  
2002年08月21日 22時52分06秒


マル秘の話7−全国区
名古屋からわざわざ新幹線・NEXを乗り継いで成田発のツアーに参加するなんてなんて酔狂な・・・と思ってました。間違ってました。今回のツアー参加者18名のうち東京に住所がある方は3名だけ。千葉・神奈川・埼玉が4名、愛知県が5名。残る6名は、岩手、岡山、そして愛媛。北海道と九州はいないけど、まさに日本中から集まっているツアーである。名古屋地区から参加ってのが実は多数派だったりするわけで、チュペ・ド・マリスコス(エビのトマトクリームスープ)を喰ったときなぞ、エビのしっぽを喰う、喰わないでは一大勢力となったわけであります。思えば、ペルーツアーなんてのは、世の中にそうたくさん需要があるわけでもなし。成田発と関空発がちょぼちょぼ。そういえば、もう一つ問い合わせたやつも「催行中止」だったし。しかし、これだけバラバラだと「写真交換会」なる「一粒で二度おいしい」集まりがやりにくいですなぁ。名古屋地区でちんまりとやりますか・・・。
2002年08月21日 22時54分31秒


マル秘の話8−ひょうたん島
ティティカカ湖のウロス島。「諸島」というのが正しいかも知れない。小さな島がたくさん集まっている。この島、ガイドブックにもあるとおり、近くに生えているトトラという葦を乾燥させたもの(キビガラみたいなもの)を集めて浮かべて、その上で生活しているのである。人間が何人も、家まで建てて生活するのであるから、その量はおびただしいものである。こればっかりはいくら本でんでも写真で見ても信じられないのであるが、行ってみるとそのとおりなのだ。着いて島に足を踏み入れた途端、フワっとしているのである。干し草の山に入り込んだというか。
波も風もなかったので揺れている感じはしないのであるが、それでも浮いている・・・と言われるとそんな感じである。放っておけば「ひょっこりひょうたん島」のように流れていってしまうので、錨を降ろして、そこにつないでいるのである。この係留のロープ(っても、ザイルくらい)が切れると琵琶湖の12倍のチチカカ湖の中を島はウロウロすることになるんだそうな。だからウロス島という訳ではないのだが。
彼らが浮島で住むことになった歴史的な経緯というのは「訊くも涙」の物語なのであるが、さすがに今どきの若い者は島の生活をいやがり、本土の学校に行ったのを契機に島を出てしまうことも多いようである。干した葦を水に浮かべているのであるから、だんだん腐ってくる。だから、2週間に1度はトトラを敷き足しているのだそうだ。そんなメンテナンスもできなくなると浮島は無くなってしまう。はたして10年後、20年後までウロス島は残っているのだろうか・・・。
2002年08月22日 08時48分52秒


マル秘の話9−高山病
今回の旅の恐怖が高山病である。今から15年くらい前、まだ若かったおいらは仲間と富士山に登った。ご来光を拝みながら、用意したワンカップを飲み干したのであるが、ひとやすみして、さあ下山だ・・・と思ったら頭が痛いのである。あれ? 風邪でもひいたかな・・・としばらく横になっていたら症状が軽くなり、事なきを得たのであるが、今から思えば軽い高山病にかかったのであろう。
さて、今回はその富士山を遙かにしのぐ高度に滞在することになる。どのガイドブックにも、外務省の安全情報にも高山病が触れられている。現地でもガイドさんは「急いで動かない、暴飲暴食を慎む」といった注意をしてくれる。
そうは言ってもせっかくの夏休みである。呑まないわけにはいかない。呑みました。はい、呑みました。現地のビールはドイツ風の軽い飲み口でうまい。高地で呑むと回るのが早いとも言われたが、確かにそのとおり。このおいらが、小瓶2本も呑むと良い気持ちになっちゃうんですよ。経済的。
結局、高山病にはならずに済んだし、量はセーブしたものの酒も飲み続けたし幸せ(笑)
2002年08月22日 08時54分05秒


秋来ぬと
一応冬のペルーから、暑い名古屋に戻ってっくることを覚悟していたのですが、あにはからんや、涼しい、を通り越して寒いのです。昼間も自転車で走ってると日影は寒い・・・。暮らしやすいのは確かだけど拍子抜け。
2002年08月23日 07時43分58秒


菌vs菌
今朝の朝食、冷蔵庫にあったものがプレーン・ヨーグルトと納豆。ふと魔が差して両者を混ぜてみた。味は想像したとおりだったのだけど特筆すべきは食感。このヨーグルト、もの凄くクリーミーなのだけど、納豆を入れたら「固まった」のである。寄せ豆腐くらいの堅さかな。なんでだろう? 納豆のねばねばが何か作用しているのだろうか、それとも乳酸菌と納豆菌が反応して全然別のものが出来てるんだろうか? うーん、不思議。
# お奨め度 ★★
2002年08月23日 08時01分35秒


NHKの体質??
ERで、精神障害者への配慮から(?)途中の何話かをすっとばしてしまい、その事なかれ主義がさんざん問われたNHK。今日も小さなところで逃げてた。
朝のニュースで世界の小ネタをやるコーナー(Asia & the World)で、飛行機の翼の上に立つ記録を作ったおじいさんの映像を紹介していた。この映像、昨日「とくダネ」でやってたから新しくも何ともない。それは仕方がないとして、このおじいさん、とくダネによれば、高齢に加えて片足が義足、ってのが凄いところ。ところがNHKでは全くこれに触れていなかった。何故? 障害者であることを売りにしないということか? だとしたら、パラリンピックなんて中継できないよねぇ。
# まさか、同じ記録を作った別のおじいさんじゃあるまいな。名前までは覚えてないし>ぢぶん
2002年08月23日 08時11分11秒


マル秘の話10−アンデスのUV
フロンによるオゾン層の破壊、なんていうおどろおどろしいことを言わなくても、高地に行けば空気が薄いから当然紫外線は強いはずである。南極のオゾンホールの影響もあるだろうし。しかも、アンデスの人たちはUVケアには全く無頓着であるように感じる。唯一の対策は、女性がちょこんと頭の上にかぶせている帽子くらいのものだろうか。その証拠に、出会う人たちのほっぺたは真っ黒に日焼けしている。当然、光老化が生じ皮膚はしわしわになるはずであるが、100歳のおばあさんを除けばそんな様子も見られない。皮膚ガンが多いとも聞かなかった。これは、長い長い歴史の中で紫外線に対する耐性ができてきたということなのだろうか。だとすれば、フロン対策が遅れ、オゾン層破壊による紫外線攻撃を受けつつある全人類は、アンデスの人々との交流(というか、何というか)を進め、UVなんて怖くない体質になっていくというのは如何であろうか。# ところで、本当に紫外線は強いのであろうか? 小生、ずっと長袖を着て、顔は日焼け止めで「アンデスの鈴木その子」状態にしていたし、普段なら真っ先にやられる眼も何ともなかったので実感がないのだが。
2002年08月23日 08時27分39秒


マル秘の話11−カジノ不敗伝説
ペルー全体はわからないが、リマはカジノが合法化されているようで、泊まったホテルにもありました。食事前に時間が空いたので、ちょっとだけ遊んでみました。テーブルゲームもあったけど、おいらは例によって隻腕・三つ目のモンスターです。10ソル(=約350円)を5セント玉に両替、小銭をじゃらじゃらさせながら、ドラムを回すこと15分ばかり。大当たりとは行かないまでも小当たりが2度ほどありました。集合時間も近づいたので貯まったコインをキャッシャーに持っていくと5ドル(=約600円)札1枚と半端のコイン10枚くらいが戻ってきました。食事にいって戦績をツアーの方に報告すると「自分たちもやりたいから付き合え」とのこと。食後、同行しました。まずは、残りのコインで運試し。と、それがまた当たり始めた。結局、10枚のコインが100枚になったところで引き揚げ。またまた5ドル札をせしめる。都合、10ソルの投資で10ドルのリターンということ。これで、アメリカ・アトランティックシティ、ラスベガス、エジプト・カイロに続き、カジノ4連勝ということになった。無欲の勝利というか、引け際の魔術師というか・・・。
2002年08月23日 08時28分38秒


マル秘の話12−jet lag
地球の裏側から帰ってくるのだから当然時差ボケはある。おいらは通常、帰国当日、翌日くらいは時差ボケというよりは単なる睡眠不足で「何となくだるい」という状況が続く。しかし、その後から強烈な時差ボケ症状が襲う。とにかく、突然眠くなるのである。いや、眠くなるってほど生やさしいものではない。落ちるという方が適切だ。すっ・・・と意識がなくなるのだ。意思の力で引き戻そうとすると、一種、金縛りのようになる。ここで、無駄な抵抗をせずに眠ることができればとっても気持ちがいい。今回の睡魔の襲来は連日、夕方6時半頃である。ちょうど自宅に帰り着くころである。無駄な抵抗がいらない。目をつぶると一瞬で落ちる。しばし、20〜30分の至福のときを過ごすのである。ちなみに、NASAによれば時差ボケを直すには時差1時間につき1日必要なんだそうだ。今回は14時間だから2週間? ただ、こちらから行ったときに生ずる時差ボケを完全に解消する前に戻ってきてるから10日で済むのか? あるいは都合28日は必要ということなのか?
# だんだんずれてきて、睡魔が夜11時頃に襲う。床に就くのはいいのだが、ものの1時間ですっきりと目が覚めてしまうのが難点。
2002年08月23日 08時30分42秒


冷製フォンデュ
昨日の夕飯。プレーンヨーグルトにシナモンパウダーと砂糖をいれて、よーくかき混ぜる。フランスパンを適当な大きさに切って軽くあぶる。クルトン程までは焦がさない。それをフォークに刺し、ヨーグルトを絡める。見た目、フォンデュ、あるいは台湾の豆漿(豆乳)みたいな感じです。きっと、塩味もいけるだろうな。
#お奨め度 ★★★★
2002年08月24日 07時40分20秒


マル秘の話13−ナスカ
とにかく子どもの頃から知っていたナスカの地上絵。本当に絵なんかあるんだろうか・・・と、はるばる見に行った訳である。リマから1日がかりで見に行って地上絵上空はたった20分であるが、その価値はあった。眼下にひろがる線画の数々。
しかし、そもそもその大きさは??っていう疑問が残った。遊覧飛行だとそのスケールが判らないのだ。その日の天候等によっても飛ぶ高さが違うんだろうし、右に左にキョロキョロしていてあっという間。
あれが一体全体どれくらいの大きさであるかは皆目検討がつかないのである。たばこの箱のように大きさを較べられるものでもあればいいのだが・・・。
2002年08月24日 07時50分12秒


マル秘の話14−クイが残る・・
ペルーの食い物。じゃがいも、トマトの原産国であり、何種類もある。これらはどの食事にもおいしく調理されてでてくる。トウモロコシもたくさんの種類があるようだ。トウモロコシから作るどぶろく(ビール)「チチャ」。旅行前に読んだ「酒紀行」でいかにもおいしそうだったので、是非呑みたい思ってたんだけど、機会がなかった。チチャというのは日々作る醸造酒、保存が利かないのでタイミングが大切なのである。
もう一つ、食いそびれたのは「クイ」。てんじくねずみ=モルモットのことである。モルモットといえば実験用動物のイメージが強いのだが、アンデスでは祭のときの晴れの食事なのだそな。これも、飼育されているところは見たのだが、ついぞや料理を口にすることも目にすることもなかった。タイトル通りである。
2002年08月24日 07時56分36秒


マル秘の話15−マチュピチュ
マチュピチュ。天気に恵まれ、ガイドに恵まれ(ガイドのU野さん、とつぜん尺八を吹き出す)。インカ人の声が聞こえたような気もする。さて、あのマチュピチュ、5平方キロといわれる。500ヘクタール、ちょっとした宅地開発である。最寄りの駅から30分、舗装もされていないくねくねした山道を登り、そこから急な階段を上ると開ける造成地。日の光をまんべんなく受けるためか、はたまた急峻な地形を利用したのか階段状になる宅地、畑。そう、日本列島改造華やかなりしときに全国で見られた宅地造成そのものではないか。
何故ここを開き、ここで何をし、そして何故ここを捨てたのか・・・。文字を持たないインカ文明ゆえ、その真相は不明。とすれば、自由に発想を膨らませることもまた可なり。クスコ(3400メートル)では過ごせなくなった人たちの保養地? はたまた、住宅難解消の団地建設(笑)
# いいんですよね?自由で>U野さん
2002年08月24日 09時10分34秒


マル秘の話16−ツアーの日本食
旅の楽しみは食事である。日本、特に東京では各国料理が食べられるけど、日本人の舌に合わせてアレンジしている場合もあるし、現地の空気(温度、湿度&濃さ(笑))で喰うとひと味もふた味も違う。酒も然りである。ところが、何故かパッケージツアーの最後の方には日本食がセットされていることがままある。「そろそろ日本食が恋しくなってきたところで」ってなコメントがつけられていることもある。おいらには「何て無駄な・・・」と思えて仕方がなかった。だって、外国での日本食なんて日本で食べるよりもおいしいはずがないし、高いだろうし、もう少しすればいくらでも食べられるようになるんだから。ほんの1週間くらい和食を食わないことが耐えられないのであれば海外(観光)旅行なんてするな・・・とまで思う。
今回のペルーの旅もそうである。最終日の前日の夕食はFujiという和食屋であった。(ちなみに、これをペルー人は「ふひ」と発音するので脱力すること甚だしい。) 静岡出身の女将さんの差配のもといわゆる和定食が出てくるのだが、いずれの素材もペルー産と言う点では勉強になった。いや、別に店の宣伝をしようというのではない。特筆すべきは、ツアーご一行様の様子である。その日の昼までは標高3800メートル(プーノ)にいたせいもあって皆さんおとなしかったのだが、ここでは俄然ハッスル。ビールは林立するは、升酒は呑むはでそれはそれはお元気。ある方の言葉を借りれば「俄然、アグレッシブになりましたね。」。そんな一種の「集団躁状態」を見て感じました。この和食は、日本帰国の20時間近いフライトを乗り切るための充電であるのだと。
2002年08月26日 22時42分12秒


どまつり
仕事で「日本で最も元気な中部地方の・・・」なんていうフレーズをしばしば使う。万博まであと3年、国際空港も建設中で、しかも今年は大河・連ドラとNHK様々で日本中から観光客を集めてる。しかし、それにしては街の人たちは醒めてるなというのが正直な感想。「今で十分幸せなんだから、これ以上は望まないよぉ。」という声が聞こえてきそう。
そんな思いを吹き飛ばすイベントに出会った。どまつり、「日本ど真ん中祭り」の略である。YOSAKOIソーラン祭みたいな祭なのだが、とにかく、どこにそんなパワーがあるのかと思うくらいなのである。そもそも、札幌のソーラン祭に参加した名古屋大学の学生さんが感動して「名古屋でも」と呼びかけて4回目の今年は100チーム余が参加、老若男女の踊り手と観客が久屋大通公園を埋め尽くす盛況である。表彰式に愛知県知事と名古屋市長がガン首を並べたのにも驚き。
この祭のルールは「地元の民謡をひと節入れる」こと。これで地元密着型のチームができる。さらにモットーが「観客動員数ゼロ」なんだそうな。見に来た人も参加する祭ってことらしい。(その割には、最後の総踊りでは観客と踊る人をロープできっちり分けていた。明石の花火の余波だろうな。) 
名古屋ではいろんな祭、例えば、大きいものでは名古屋城祭りとか三英傑のパレード等があるが、行政主導だったり、企業が丸抱えだったり。このどまつりは、学生の文化祭を大きくしたようなお祭。参加者も一部企業チームらしきものもあるけど、基本的には地元のおっちゃん、おばちゃんの手弁当。こんなパワーが名古屋にあったなんて意外・・・
2002年08月26日 22時43分52秒


日本ハム
新米がでるまで米を買わないことにしたので、朝飯はパン、昼食は外食、晩飯は麺類になり、週末の晩飯は行きつけの飲み屋で・・・ということに相成る。余談だが週末の適度な飲酒で時差ボケは解消したようである。ところで、アメリカ時代を除けば、パン食の習慣は炊飯器を買って以来ない。炊飯器を買ったのは米不足の時で友人から不思議がられたっけ、94年のこと。従って8年ぶり。
パンと言えば、きゅうりとハムははずせない。近所のスーパーでハムを買った。銘柄も見ずに安いのを選んだら、日本ハムのハムだった。あらあら、束にしてたたき売りされてた。先週、その日ハムの経営陣の処分が公表されたが、農水大臣はじめテレビのコメンテーターたちが「処分が甘い」と叫んでいた。でも、少なくとも農水大臣には言われたくない。そもそも「偽装」したくなるような杜撰な業界救済策を作ったのは農水大臣に他ならないのでしょ? それにBSE問題をあれだけ迷走させたときに「現職に留まり事態を収拾させるのが私の責任」として椅子にしがみついたご本人じゃないですか。日ハムの会長さん、社長さんだって、あるいは社員だって同じ気持ちじゃないかな。特に会長さんは創業者で社内でも業界でもカリスマ的存在なんだろうから、鎮座ましましている方が改革がちゃんと進むかも知れない。
まあ、そんなことは社内事情だからどうでもよい。大事なのは、何も農水大臣に言われなくても「処分が甘い」、「改革の姿勢がなっていない」、「商品の安全性が確保されない」、「社会的制裁が済んでいない」と消費者が判断すれば、買わなければいいのである。他社製品に乗り換えたって良いし、小生のように食生活そのものを替えたって良いのである。それもせずに「処分が甘い」なんてテレビカメラの前で怒ってる消費者は余りにも情けないと思う。
# 刑事罰は別ですぜ。
2002年08月26日 22時47分17秒


お笑いの原点
鉄拳というコメディアンの舞台をみた。演劇のページにも書いたが、彼の売りはスケッチブックの絵である。漫画家だった時期もあるそうで、絵はうまい。
「こんな○○は××だ。」というテーマで、ひとコマ漫画(ときにふたコマ漫画)を綴っていくのである。たとえば「こんなタイガーマスクは、マスクを脱げ」というタイトルで「マスクがポチだ」「体がどうみてもG馬場だ」「負けるとすねる」と、たたみかける。これは面白い。大笑いである。サザエさん、フランダースの犬、ウルトラマン・・・といろいろと続く。落ちがつまらないと絵の中で主人公に首吊りをさせる。著作権の絡みもあるだろうし、この首吊りがブラックでTV向きではなさそうだ。
××の部分はネガティブで、結局は「イヤ」ってことだが、これって、「天才たけしの元気の出るテレビ」のオープニングの「こんな○○はイヤだ。」ってやつそのまんま。さらに「ドリフの大爆笑」の「もしもシリーズ」いっしょ。長介の「ダメだ、こりゃ」が××なのである。客席にはドリフも天才たけしもしらないであろう20歳前の子達が大勢。うーん。
# 鉄拳に関して言えば、絵は同じでも「××」の部分をもっとポジティブな感じで演じたらグッと面白みが増すと思うのだが。
2002年08月26日 22時50分45秒


日記が滞ってるのは・・・
ただただ、眠いせいなのです。
家に帰って、夕食をとって、テレビ観ながらメールのチェックなんぞをして、さて、日記でも書こうかな、と思う夜10時頃、突然睡魔がやってくるのであります。時差ボケの睡魔でしょう。とにかく横になると1分もかからずに眠ってしまいます。まさに秒殺し。先週末、解消したと思ったのは思い過ごしだったようです、NASAが言うとおり14日間はかかるようです>時差ボケ解消
2002年08月29日 07時17分21秒


ご注意44444
あと250ばかりで44444ヒットになります。40000もお申し出がありませんでしたが、44444も是非お見逃しありませんように。役に立たないインカグッズ(又はナスカグッズ)があなたをお待ちしております。
2002年08月29日 07時25分17秒


マル秘の話17−瞬間顔痩せ
ペルーで撮ってきた350枚以上の写真を毎日持ち歩き、会う人、会う人にお見せしている。だいたい、ペルーに行ってきたというと、殆どの人は「仕事ですか?」という反応、観光ですというと「何か観るところがあるんですか?」。マチュピチュといってもピンと来ない人も多い。空中都市とか「ナスカの地上絵」というと初めて納得してくれる。
もちろん、写真はさらに雄弁に物語るのであるが、写真を見ていただいた人から二日続けて「帰国して随分痩せたんですね。」と言われた。最初は、現地で日焼け防止のために「白塗り」にしていたので顔が膨張して見えるのか、はたまた、多少日焼けした今の顔が精悍に見えるのか・・・と思ったのだが、新たな説が持ち上がった。すなわち低気圧膨張説である。高地で気圧が低いのであるが、あるサイトで計算してみると、4300メートルの高地では地上の6割くらいの気圧になっているのである。ところが、体の細胞は1気圧でできている訳(?)なので、スキー場に持っていったポテトチップスの袋のようにパンパンになっているはずである。その集合体が身体なのであるから、全体としてパンパンに膨らんでいる(むくんでいる?)状態の筈なのだ。そういわれてみると、ウロス島で撮った写真の顔は初日にリマで撮った写真に較べて大きいような・・・。
2002年08月30日 07時48分40秒


スイカ入れ付きコート
そんなものが出来たそうです。新聞の見出しよ読んだとき「何で西瓜なんかコートにいれるの?」と不思議だったのだ。これ、東京の人は判りますよね、JR東日本のsuicaのことだったんです。コートの右袖に隠しポケットがあって、そこにsuicaを入れておけば、いちいち財布から取り出さなくてもいいという代物。suicaってそこまで普及してるってのは意外。
ところで、スキーのリフト券は既に非接触型のICカードってのが普及してますよね。うちのクラブのウェアの袖にはリフト券用のポケットがついてます。これが左袖。そう、スキー場のリフトゲートのアンテナは通常左側にあります。一方、自動改札は右側。右利きの人は腕時計も左にするけど、右袖にsuicaなんてのが入ってたら鬱陶しくないのかなぁ・・・。
2002年08月31日 10時32分01秒


前の月へ次の月へ

納戸の入り口へ

ぴなのほめぱげへ
inserted by FC2 system